こんばんは
本日は
私の
ストーリー
いよいよ
最終回
って
そんなに
求めてないですよね
まぁ
そう言わずに
もう
少しだけ
お付き合いください
それでは
紆余曲折の
高校編
浪速のジョー
ボクシングが
流行り
隣町の
高校で
ボクシングを
はじめようかと
考えていた
矢先
いいから
行け
いいから
行ってみ
家族に
無理矢理
背中を押され
反発しながら
進学した
あの頃
実は
当時の
高校の長が
直々に
試合を
観戦しに来た
中学の
大会で
本塁打を
打ってしまったのが
決め手
だったとか
なんとか
かんとか...
時は過ぎ
今も
こうして
繋がる
ご縁
本当に
感謝しかありません
そんな事情も
あったのか
なかったのか
名将のもと
右も左も
わからないまま
1年春から
試合に
出場してしまった
田舎者は
ホームシックに
なるのも忘れ
ただただ
充実していたような
気がします
あ
当時は
春の招待試合で
石巻大会
なるものが
あって
1年生ながら
出場させて
頂いたんですよ
今
思えば
なんだか
不思議な縁ですね
結果は
大雨のなか
散々でしたが...苦笑
順風満帆の
スタートに見えますが
そんなことは
全然なくて
夏の大会は
ベンチ入り
できなかったし
名将は
退任するし
それ以降は
度重なる
ケガで
ほとんど
プレーできなかったし
ちょっと
舐めてしまった
高校野球
1年夏から
試合出れるんじゃね
1年秋には
レギュラーじゃね
このままいけば
プロに
なれるんじゃね
気持ちとは
裏腹に
現実は
そう
簡単ではなくて
次第に
荒んでいく
心
時は流れ
2年冬
新チーム発足
あれだけ
崇拝していた
名将が
チームに
戻ってくる頃には
なにもかも
受け入れることが
できず
反発する
日々
否定する
日々
野球を辞める
私の
わがままを
諭し
受け入れ
聞いてくれた
器の
大きさは
今
あらためて
その
偉大さを
感じずには
いられません
ワシのことは
嫌いでいい
でも
野球は
嫌いになるな
また
やりたくなったら
いつでも
戻ってこい
私には
そんなことが
言えるのかな...
本当に
偉大な
名将です
時を
同じくして
辞めると
言い出した
次の日
あわてて
駆けつけてくれた
父
説得も
叱責もせず
私の話しを
そっと聞いてくれた
父
何も言わず
引っ越しを手伝ってくれた
父
この日のこと
この当時の話し
恨み節の
ひとつ位
あってもいいのに
最期まで
何も言わずに
逝ってしまいました
私も
じっちのような
父親に
なれるのかな...
ここまで
いろんな
背番号を
背負って来ましたが
この
番号だけは
印象が
強いんです
3年春
野球に
戻った日
同時に
プレーヤーを
諦め
マネージャーとして
下支えを
決めた頃
それでも
お前が
必要なんだと
急きょ
ベンチ入りした
背番号
その
試合中
自チームの
スタンドから
背番号
返せ
って
野次が
飛び交ったのは
忘れられません
こんな選手って
いるんですかね...苦笑
そういえば
あれ以降
社会人野球に
なってからも
私だけ
自チームや
他チームから
執拗に
野次られるのは
やっぱり
何かが
繋がっているのでしょうか...
さて
荒んでいた
2年冬
野球から
離れた間に
実は
密かに
覚えはじめた
ギター
自分を
表現する形として
音楽を
奏でる時間が増え
ストリートで
弾き語り
それは
数年
続いたりしました
実は
今でも
そのチャンスを
伺って
いたりするのは
ここだけの話し...
もう
指は動かないかな
高校
最後の
必須科目は
42.195km
フルマラソンの
完走
ま
ほとんど
完歩でしたが...
それも
これも
最後は
楽しい
時間
結局
先生にも
仲間にも
親にも
感謝しかない
高校生活
それは
今も同じで
感謝
その言葉が
なければ
何も
はじまらないし
何も
感じられません
だからこそ
その言葉を
教えてくれた
皆さんに
その言葉を
気づかさせてくれた
皆さんに
感謝しなければ
いけませんね
感謝
感謝の
My Way
一人では
生きていけないし
一人では
生きられない
皆さん
これからも
よろしくお願いします
ストーリー
社会人編
この勢いで
綴りたい
気持ちもありますが
もっともっと
長くなりそうなので
今回は
これにて