こんにちは
本日は
私の
ストーリー
小中学校編
東日本大震災により
保育所
小学校
中学校
学び舎
だけでなく
同級生も
失ってしまいましたが
記憶から
失われることはありません
学校生活
だけでなく
地域ごとの
活動も盛んで
小さな
集落でしたが
支え合い
助け合い
毎日
楽しく
過ごすことができました
すぐ
近くには
190cmを
越える
先輩がいて
競技は
違えど
宮城県を
代表する
自慢の
先輩だったんですよ
なんの縁だか
同じ高校に
進学してしまいましたが...苦笑
さて
小学校
3年生の時に
親戚であり
友人である
悪友から
誘われた
野球
小さな学校
でしたが
あの頃は
男子は
野球
女子は
フットベースボール
って
知っていますか?
全員が
半強制的に
クラブ活動に参加し
学校に
よっては
複数チームで
活動
だったり
学校の
枠を越えて
地域単位での
チーム編成
だったり
まだまだ
スポーツが盛んで
競い合っていた
時代
私たちは
3年生主体の
たぶのき
4年生主体の
かみわり
5年生主体の
おきなぐら
6年生主体の
いぬわし
だったかな?
4チームで
編成された
少年野球チーム
ひらがなの
チーム名って...
なんだか
ダサいけど
私は
好きです
はい
話しは戻り
何をやっても
人気者
何をやっても
中心人物
野球もそう
いつでも
ひとつ上を行く
悪友が
まぶしくて
羨ましくて
嫉妬心を
抱えていたのは
ここだけの話し...小声
戸倉
いぬわし
最終学年で
やっと
共に
戦うことができて
地区大会を
勝ち上がり
あと一歩で
県大会へ
進むことができた
最後の大会
決勝戦で
負けた
相手の
エースとは
その後
中学
高校でも
対戦し
お互い
大人になって
今
現在
少年野球で
繋がる
不思議な縁
そんなことより
実は
私
公式戦で
ヒットを打った
記憶がないんです
活躍した
記憶がないんです...
ただただ
大きかっただけの
デクノボウ
なんだか
かわいそうな
少年時代
そんな男が
教えた
少年野球
なんの
説得力もないですね
そもそも
何も
教えられませんでしたが...
そして
思春期
真っ盛りの
中学校
兄や
姉も歩んだ
バスケットボール
NBA
スラムダンク
バスケ
全盛期の
部活動
選び
なんや
かんやと
野球部に
所属したものの
いまいち
身が入らなかった
3年間
遊ぶことや
反抗すること
否定することや
カッコつけること
背伸びすることや
大人びること
学校も
野球も
嫌になっては
投げ出したり
逃げ出したり
人を
遠ざけ
人が
恋しい
そんなこと
ばかりだった
中学時代
それとは
裏腹に
2年夏
陸上競技
2年秋
陸上競技
3年夏
野球
と
3期に
渡って
県大会に
出場しました
新任の
先生と
共に
歩んだ
陸上競技
それこそ
なんの縁だか
長男くんの
一番の
親友が
あの時
お世話になった
先生の
お子さん
なんですよ
本当に
縁とは
不思議ですね
陸上競技の
ベスト記録は
県でも
上位だったんですけどね
なんせ
田舎者
ホームシックで
実力が
発揮できなかったのは
先生との
語り草
それなら
まだしも
野球部で
挑んだ
最後の
中総体
あれよ
あれよの
県大会
ベスト8
迎えた
準々決勝
その頃には
全員
ホームシック
試合前の
ミーティングは
...
もう
いいよね
家
帰りたいよね
...
久しぶりに
集った
同級会でも
やっぱり
その話題...苦笑
田舎者で
小心者のくせに
荒くれて
明け暮れて
心配ばかり
かけていました
でも
家族や
先生方が
あそこで
抑えつけず
ある程度
自由を
くれたから
今が
あるのかなと
思う日は
多いです
本当に
感謝しかありません
え
抑え
つけられなかっただけ
とか
仕事で
いっぱいいっぱいで
私のこと
なんて
見ても
いなかった
なんてことは
ないですよね
皆さん...苦笑
紆余曲折を
経て
まだまだ
紆余曲折する
ストーリーは
もう少しだけ
続きます