田舎者で
世間知らずで
ちょっと
生意気な
思春期
ボーイは
若生先生との
出会いで
人
として
野球人
として
大きく
成長させて頂きました
春先に
ご連絡を
頂いていたので
遠く
感じていませんでしたが
最後に
お会いしたのは
もう
5年も
前でした
1年生の
春から
試合に
出してもらっては
たくさん
経験を
積ませて頂きました
この人に
付いていくと
決めた
夏
突然の
勇退
悲しくて
寂しくて
泣いた日
1年生
秋
2年生
春
2年生
夏
2年生
秋
悩みながら
迷いながら
そして
時に
ぶつかりながら
徐々に
崩れていく
チームを
私たちは
私たちなりに
懸命に
歩んで来ました
そして
2年生
冬
若生先生は
この
チームに
帰って来ました
ただ
自主
自立
自ら考え
行動する
そんな
一丁前に
なったつもりでいる
私には
あれだけ
好きだった
野球が
受け入れられず
反旗
ばかりを
ひるがえし
反抗と
怪我
その
全てが
重なった日
野球を
辞める
学校を
辞めると
決めました
もう
野球はできません
若生先生とは
野球はできません
野球部を
辞めます
学校も
辞めます
若生先生が
嫌いです
そんな
小僧の
わがままを
怒る
ことなく
じっと
耳を傾け
ワシのことは
嫌いでいい
ただ
野球は
嫌いになるな
また
やりたくなったら
いつでも
帰って来い
そう
言って
退部
ではなく
休部へと
送り出して
くれました
あの日から
外れて
しまったであろう
なにかの
レール
自由
気ままな
学校生活の
先には
やっぱり
野球が
ありました
3年生
春
野球が
やりたいです
でも
もう
野球は
できません
それこそ
わがまま
マネージャー
として
チームに
復帰
なのに
背番号を
頂いて
ベンチに
入ってしまっては
背番号
返せ
スタンドの
チームメイトから
ヤジられる
始末...
その後
アマチュア
最高峰
社会人野球へ
進ませて
頂いてから
10数年に
及ぶ
各チーム
皆さんからの
私への
執拗な野次
罵声
一挙手
一投足
本当に
ただ
歩くだけで
ヤジられた
時代ですからね
今の
選手たちじゃ
メンタルが
耐えられないかも
しれません
その
土台を
作って
頂いたのも
若生先生です...苦笑
あれほど
好きだったのに
嫌いになり
あれほど
嫌いだったのに
球道即人道
礼儀
返事
挨拶
掃除
私という
人間の
土台は
あの頃
教えて頂いた
若生先生の
野球です
高校
社会人と
導いて
頂いた
この
ご恩は
一生
忘れません
若生先生
本当に
ありがとうございました
合掌