本日は
中学硬式野球
からの
ソフトテニス
からの
少年野球
からの
中学硬式野球
からの
南三陸町へ
あっという間の
3年間
12月17
という日は
親父が遠くへ
旅立った日
野球教室
少年野球の部
傷付いた街
ISHINOMAKI
そんな
野球小僧たちの為に
毎年
ご来石
頂いております
元・北海道
日本ハムファイターズ
村田和哉さん
そして
今年は
元・北海道
日本ハムファイターズ
芝草宇宙さん
この日を
企画し
ご尽力頂いている
皆さん
本当に
ありがとうございます
ただただ
子供たちの
元気な姿が観たい
ただただ
子供たちが
元気であればいい
そして
ただただ
野球を通じて
石巻が
元気になればいい
その
思いだけで
お越し
頂いております
聞けば
大雪が
降ったせいで
グラウンドが
使用できず
広場で
サッカーをした
そんな年も
あったそうです
本日の
メインイベントは
お楽しみ
ジャンケン大会
なんて
おっしゃっていましたが
いやいや
皆さんの
一言一言が
子供たちの
糧となり
少年野球の
思い出となります
来年も
再来年も
その先も
子供たちの
成長を
観に来て
頂けるとの事でした
最後は
感謝を込めた
銘品かまぼこ
誰よりも
感謝しているのは
私です
本当に
ありがとうございました
そして
あの頃から
大きく成長した
中学硬式野球の部
と
その前に...
ちびっ子も
元気に
活動中です
はい
今年も
本格的に
ご指導
頂きました
村田さんの夢は
5年後
10年後
こうして
触れ合った
石巻市の
野球小僧たちから
プロ野球選手が
誕生する事
石井さん
原田さん
芝草さん
村田さん
本当に
ありがとうございました
からの
12月17
という日は
南三陸町へ
あの日は
大雪が
降ったせいで
車は
長い列でした
最後の
最期に間に合った
あなたの長男
最後の
最期を拒もうとした
あなたの長女
その気も
なかったのに
最後の
最期まで
一緒に
いてしまった
あなたの末っ子
ねぇ
じっち
正直
私じゃ
不安だったでしょ...苦笑
まだまだ
幼くて
子供のような
私の前では
絶対に
弱音を吐かなかったし
泣かなかったよね
本当は
怖くて恐くて
お袋や
兄
義姉や
姉の前では
何度も
何度も
涙を
流していたそうです
そんな
私とあなただから
最後の
最期まで
強がって
逝ってしまいました
そういえば
仕事や
野球や
病院通いだったり
マスメディアや
トラブルや
なんやかんやと
夢のような
時間の中で
ブログを閉鎖したり
心を閉ざしたり
そんな毎日の
繰り返しでした
お互い
浮き沈みする
不安を抱えながら
病室の
ベッドの上
昔話を
聞かせてくれた
じっちが
なんだか
懐かしく感じます
私たちでは
どうする事も
出来なかったけど
今でも思うよ
出来るなら
家に帰してあげたかった
あなたが育った
あの家は
もう
跡形もなく
避難を繰り返して
辿り着いた
仮設住宅だけが
あなたの
帰る場所だったけど
それでも
最期は
帰してあげたかった
ごめんね
じっち
私たちには
その決意も
その覚悟も
出来ませんでした
もしかしたら
あなたの子供たちは
みんな
同じ気持ちかもしれません
自慢の名産
あなたの長男と
あなたの義娘と
あなたの孫と
あなたの妻と
あなたの母は
あなたが
そうであったように
今も
止まる事なく
一歩一歩
歩んでいます
安心してください
私たちは
あいもかわらず
そんな
家族の恩恵を
受けていますので
本日も
ご馳走さまでした